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無線機からノイズ混じりの『殲滅完了確認』の声が聞こえた。

「一松!終わりだって!帰ろう!」

ゴーグル越しの少し灰がかった紫の背中へ、防護マスクの内から声を張る。
一松は腕を振り下ろしざまこっちを見て、「もう?」と不満そうに漏らした。

「うん、早かったよね。ここはもう大丈夫みたい…それ持って帰る?」

一松が手に掴んでいるのは、彼がたった今脳をふっ飛ばしたばかりの死体だ。

「実験に使えるの?ぐちゃぐちゃだけど…」
「何かの材料にはなる。サンプルは多い方がいい」

ずる、と死体を引きずって潰れた脳髄を拾いに行く姿は、その元人間に対する情も何もなく、ただの淡々とした処理業務だった。
それは私も同じだ。何体もの脳を破壊した武器の汚れを拭き取る。

この世界に通称“ゾンビ”がはびこるようになってから、人々の倫理観は変わってしまった。
便宜上ゾンビ、ゾンビ現象と名付けられているが、人間が動く死体となった最初の原因は未だ不明である。突如として変異体が現れ、それらが次々と人間を襲い、急速に世界に広まっていったと言うよりない。
見境なく人間を襲うゾンビたちには愛も情も通じなかった。たとえそれが家族や友人、恋人だったとしても。
ゾンビにも人間としての尊厳を認めよう、と主張する人々は今ではごく僅かになってしまった。
最初の頃こそ彼らを人間らしく扱おうとしていたものの、理性を失った彼らを制御するのは困難を極めた。それにともなう被害も多く出た。
生き残った人間にできるのはこれ以上の被害を出さないようにすること、すなわち全ゾンビの殲滅しかなかった。
ただごく僅かといえ、他の解決手段を考え続けている人間もいるにはいる。
私もその中の一人だ。だからこうして、一松がゾンビの残骸を持ち帰ることを容認している。

「もっと生きのいいのがあればいいけど」

ぼそりと呟く一松が辺り一帯を埋め尽くす残骸を見回す。
マスクのおかげで腐敗臭はあまりしないが、見慣れたものとは言え陰惨な光景。
ここもかつては若者で賑わう街だった。今は廃墟と瓦礫の街。

「ゾンビをそのまま連れ帰るのはまだ危険すぎるよ。今でもギリギリのとこ渡ってるんだから」
「杏里もっと偉くなってよ」
「それは難しいな、上詰まってるし。多分一松とも組めなくなるよ」
「…はぁ…」

ため息をついた一松の額に、記号のような文字の書かれた御札がひらひらと揺れる。

一松は人間ではない。
キョンシーだ。
六つ子兄弟の四男であり、六人とも生きる屍として街を徘徊していたところを捕らえられた。
彼らは他のゾンビとは違い、人の言葉を理解した。片言の人語を話すばかりか、ある程度の人間的な感情や思考力も持ち合わせていた。
つまり、人間としての自我が残っていたのだ。
彼らを完全な人間に戻すのは現在の科学では不可能。しかし、彼らがいつか人間に希望をもたらす存在になるかもしれない。
私の所属するゾンビ対策機構は、彼らを味方、および観察対象として生かすことを決めた。
他のゾンビには効果のなかった霊符が、なぜか彼らには効力を発揮したのも大きかった。試験的に使用された霊符だが、今のところ彼らをコントロールするにはこれが一番効果的だそうだ。
元々自我があったおかげか、御札を付けられてからの彼らは瞬く間に人間に近い生活ができるまでになった。
しかも彼らはキョンシーとして超人的な能力にも目覚めており、ゾンビの攻撃もものともしない。最前線での戦闘員には持ってこいだった。
現在六つ子はゾンビ殲滅部隊の特攻長として、私のような人間の特級戦闘員とそれぞれコンビになり、ゾンビの殲滅に大きく貢献している。
機構としては、意志疎通がはかれている今のうちに利用できるだけ利用しようという肚もあるのだろうが、六人ともゾンビ殲滅には積極的なのが幸いだ。自我がある分、待遇などに不満を言ったりと時には扱いづらい部分もあるが。
そんな中一松は、個人で独自に抗ゾンビ研究までしている。ゾンビの残骸を持ち帰るのはそのためだ。
彼はゾンビ化する前、ゾンビを対象に趣味で人体実験を行っていたと言う。その経験を今度は人間のために生かしてくれるつもりらしい。
彼の自主的な行動に私も協力している。機構直属のゾンビ研究機関は別にあるが、成果はいまいちなのであまり期待を寄せていない。
一方で、私は一松の行動を機構へ報告する義務を課せられている。
これは他のコンビも同じで、彼らがなぜ普通のゾンビと一線を画したのか、なぜ霊符で理性が安定するのかなど、まだ謎が多いからだ。

サンプルの入った特殊容器を抱えた一松が、私の先に立って歩いていく。
兄弟で色違いのチャイナ服が生暖かい風にふわりとひらめいた。
こうした色違いでお揃いの衣服は生前の記憶と繋がるらしく、理性の安定という点で採用された。キョンシーとなった今の彼らの、紫っぽい肌によく合う色味の服だと私は思う。

「腹減った…」
「そうだね。私も」
「肉ならその辺に転がってるけど」
「私は共食いしないから」
「それ嫌味?」

ちらりと一松が振り向く。
ゾンビになりたての頃は、彼も新鮮な人肉を食べたと言う。ちなみに今はカレーが好きなようだ。

「そっちが先に肉とか言ったんじゃん」
「食用とは言ってないし」
「屁理屈」

雑談しながら戻ってくる私たちを見つけた一般戦闘員の一群が、いっせいに緊張を見せ敬礼をする。
私はそれに敬礼で応じた。

「後はよろしくね」
「はい!」
「それから、サンプル一個回収。ね、一松…って」

一松は彼らに見向きもせず、軍用車の荷台にさっさと乗りこんでいた。

「私や兄弟以外とも仲良くなった方がいいと思うよ」

一松の隣に乗りこみ、マスクを外しながらそう溢すと「無駄無駄」と平淡な声が返ってくる。

「こんな化け物と仲良くなったって何の得もない。距離取ってる分あいつらは賢明だよ」
「そうかなあ。寂しいじゃん」
「誰が」
「私が」
「…何で」
「なんか、気持ち的に」
「意味分かんない」

車は砂塵をまき上げながらタイヤを走らせる。
一松とときおり軽口を叩きながら帰路につく間も、周囲への警戒はまだ緩めずにいる。
見つけ損ねたゾンビが瓦礫や廃墟から出てきてもおかしくはない。一松と組んでから一度もそんなことはないけど、これも務めだ。
セーフポイントまで来て、私はようやく肩の力を抜ける。
あの一帯でのゾンビ討伐はもうすぐ終わるだろう。最終確認のために私たちがまた駆り出され、そののち機構により整備の手がくわえられる。そうやって、生き残った人間の安全な住処が拡充されていく。
車は、既に整備を終えた地域へと続く道を外れ、一般市民の立ち入りを禁止している機構専用路へ入った。関門にていくつかのチェックを受け、厳重な監視と塀に囲まれた道を進む。
着いたのは、私たちの住居兼仕事場である施設だ。
ここはキョンシーラボと呼ばれており、六つ子とその相棒の十二人しか住んでいない。人里離れた場所にあるが、贅沢な設備、かつ最高レベルのセキュリティが敷かれている。
停車場で車を降りると、一班と五班が帰ってきていたようで、何やら玄関前が賑やかだった。

「…あ!一松にーさーん!杏里ちゃーん!」

同僚たちに手を挙げて挨拶すれば、五班の十四松が手を振り駆け寄ってくる。いつもながら、一度屍になったとは思えない元気の良さ。
私が手を振り返す傍らで、一松はずるりとサンプルの容器を荷台から引きずり出していた。
容器が地面に置かれたと同時にすぐさま走り出ていく車。みんな"万が一"の時、巻き添えになるのはごめんなのだ。ここはある意味で隔離施設と言っていい。

「お帰りなさーい!」
「ただいま十四松」
「十四松、これいつもの場所に」
「オッケー」

一松が重そうに抱えていた容器は、十四松が片手で楽々とラボ内へ運び去っていった。私と同じ特級戦闘員の二人が、先に入るよと目くばせを私たちに送ってから十四松の後に続く。
それに軽く頷き、私たちもゆったりと歩きだす。

「またサンプルー?熱心だねぇ」

唯一、玄関先で私たちを待っていたおそ松があくびをしながら言う。

「おそ松兄さん達夜勤じゃなかった?今終わったの?」
「そ。やーっと帰って来れたー、はー疲れたぁ」
「俺達別に疲れるとかなくない?」
「いやそうだけど、なんか精神的に?あービール飲みたーい」
「確かに。最近飲んでないね、ビール」
「ゾンビからビール作る研究とかしてよぉいちまっちゃぁん」
「それほんとに飲みたい?」

お揃いの御札をひらひらとたなびかせながら会話する姿には、いつも少し和ませられている。
仕事上接する組織の人間より、よっぽど人間味のあるコミュニケーションをとっていると思うからだ。私たちと親しく世間話をしようという人間が他にいないのもあるが。
彼らの会話は、世界がこうなる前の一般市民の日常を思い出させてくれる。生きた人間より、もちろんゾンビより、キョンシーの彼らの方が人間らしく見えるのは皮肉というか何というか。
生を一度捨てれば、色々なしがらみから解放されて生き生きとするのだろうか。時々そんな風に考える。
消毒通路を抜け、おそ松とはエレベーター前で別れた。自分たちの専用フロアである北棟の一階へ足を向けると、もうサンプルを運び入れてくれたらしい十四松と行き合った。

「あ、十四松ありがと」
「どーいたしまして!じゃ、お疲れさまでーす!」
「お疲れ」

十四松も夜勤明けだったはずだが、疲れ知らずの彼は自分のフロアまで階段を駆け上がっていった。

「元気だね」
「ゾンビになる前からあれだから、あんまり違和感ないよね」
「あれだけ動いても剥がれないってすごいよねこれ」

一松の御札をつまむ。

「ちょっと」

一松が嫌そうにゆるりと私の手を払う。

「剥がれたらどうすんの」
「お風呂入っても戦闘でも剥がれないんでしょ?すごい霊力で引っ付いてるとか聞いたよ」
「万が一、ってこともあるでしょ。…杏里っていろいろ危機感ないよね」

『四班』のプレートが付けられたゲートの横で、一松がセンサーに手をかざし、通路が開かれる。

「部屋だって一緒だし…まあ監視のためだからしょうがないけど」
「いざって時のためにシェルターあるから」
「シェルターに立て籠ったっていずれ死ぬだけだよ。あいつら、俺らが暴走したって助けになんか来ないだろうからね」

あいつらとは機構の人間のことだろう。
一松の見解は当たっている。"万が一"が起こった場合、ここはすぐさま封鎖され、跡形もなく消されるはずだ。生きている人間もろとも。
ゲートから二度目の消毒通路に入り、装備や防護服はここで外して専用の洗浄機へ。中にスポーツウェアを着ているので、ここで脱いでも問題はない。
洗浄機のスイッチを入れる隣で「てかそういう意味で危機感ないとか言ったんじゃないんだけど」と一松が小さく独り言をこぼしたのを、私は聞き逃さなかった。

「え、そうなの。どういう意味?」
「……別に……」

一松は深いため息をつき、靴から室内サンダルへゆるゆると履き替えた。
その次のゲートを通ると、やっと私たちの生活スペースだ。小さなエントランスから一段上がって共用リビングが広がっている。

「まあ、とにかく、お疲れ」
「あ、うん。お疲れー」

さっき話していたように身体的な疲れはないらしいが、一松は常に疲れている雰囲気を漂わせている。あれだけ高級のキョンシーともなると、精神的ストレスも感じるようになるのだろうか。
一松は広い共用リビングをまっすぐ右へ向かい、自室へ繋がるドアの向こうへ消えた。ドアには『絶対に入るな』と貼り紙がしてあり、常に鍵も掛けている。プライベートは完璧に分けたいタイプらしい。
リビングの左のドアは私の自室に繋がっている。向かいがてら両腕を上げて大きく伸びをしたら、体がポキポキと音を立てた。

「…ん、んん…っと」

今日はよく働いた。シャワーを浴びたら少し寝よう。お昼ご飯はカレーでいいか、一松も好きだし。
自室に入ってすぐ、一松から言われた言葉が頭によぎったが、内鍵はいつも通り閉めなかった。
別に"万が一"を見くびっているわけではない。この状況が、常に危険と、文字通り隣り合わせなのも分かっている。
ただ私は"万が一"が起こった場合、最前線に立って真っ先に一松と対峙したいのだ。それが今まで生死を共にしてきた者としての務めだと思っている。

「ね、そうでしょ」

姿見の隣に掛けてある写真に向かって言う。
昔の私と、かつての私の婚約者が写っている。